世界初のブラウン管式テレビ受像機を作ったのは高柳健次郎。
何年間も研究を続け、1926年(大正15年)、ついに「イ」の字をブラウン管に映しだすことに成功した。
1959年(昭和34年)、皇太子成婚の中継をきっかけに、一般家庭にも普及し始めた我が国のテレビ受信機は、10年後の1969年(昭和44年)には生産台数世界1位となった。
子どもの頃から模型作りや機械、そして「電気」に強い興味を持っていた高柳は、教師を目指して東京工業大学に進学。
ここで「流行の技術をやるのではなく、未来の日本のためになる技術を作り上げろ!」という中村教授の教えに感銘を受ける。
高柳の発想が、何とも素晴らしい。
「電話で声が伝わるのならば、顔や姿、つまり画像も伝わって見えるようにできるのでは?」
さらには、「ラジオ放送は無線で声を送っている。ならば映像も無線で送れるはず」と考えたのである。
高柳は「無線遠視法」と名付けたこの研究にのめりこんでいく。
「のめりこんでいく」というのが素晴らしい。
あなたには、のめりこんでいく対象があるだろうか?
1926年12月、高柳は、長年研究を重ねた結果、とうどう世界初のブラウン管式テレビ受像機を完成。イロハの「イ」という文字を映し出す。
そのテレビの走査線数は40本であった。
さらにその後、1928年(昭和3年)、動く被写体の送像のテレビ実験に成功している。
その後、戦争を挟んで、高柳は日本ビクターに入社。「テレビジョン同好会」を創設し、会長となる。
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