2010年09月25日

テレビの発明

●高柳健次郎のたゆまぬ努力

世界初のブラウン管式テレビ受像機を作ったのは高柳健次郎。
何年間も研究を続け、1926年(大正15年)、ついに「イ」の字をブラウン管に映しだすことに成功した。

1959年(昭和34年)、皇太子成婚の中継をきっかけに、一般家庭にも普及し始めた我が国のテレビ受信機は、10年後の1969年(昭和44年)には生産台数世界1位となった。

子どもの頃から模型作りや機械、そして「電気」に強い興味を持っていた高柳は、教師を目指して東京工業大学に進学。
ここで「流行の技術をやるのではなく、未来の日本のためになる技術を作り上げろ!」という中村教授の教えに感銘を受ける。

高柳の発想が、何とも素晴らしい。
「電話で声が伝わるのならば、顔や姿、つまり画像も伝わって見えるようにできるのでは?」
さらには、「ラジオ放送は無線で声を送っている。ならば映像も無線で送れるはず」と考えたのである。
高柳は「無線遠視法」と名付けたこの研究にのめりこんでいく。

「のめりこんでいく」というのが素晴らしい。
あなたには、のめりこんでいく対象があるだろうか?

1926年12月、高柳は、長年研究を重ねた結果、とうどう世界初のブラウン管式テレビ受像機を完成。イロハの「イ」という文字を映し出す。
そのテレビの走査線数は40本であった。
さらにその後、1928年(昭和3年)、動く被写体の送像のテレビ実験に成功している。

その後、戦争を挟んで、高柳は日本ビクターに入社。「テレビジョン同好会」を創設し、会長となる。



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2010年08月08日

大発明の話(1)

●乾電池の発明者:屋井先蔵(やいさきぞう)

電池は化学変化を利用して電流を取り出す装置。

イタリアの物理学者ボルタが発明した「ボルダの電池」が有名だが、これは電解液である薄い硫酸の中に、銅版と亜鉛板を電極として用いたもの。
液体であるだけに取扱いが面倒で、しかも重い。
そんな不便さを解決したのが現代の乾電池。

世界中で使われているのが、その発明者は日本人・屋井先蔵。
多くの困難に不屈の精神力で立ち向かった。


屋井先蔵は越後(新潟県)で1863年に生まれた。

13歳のときに、単身上京。
時計屋の丁稚として働いたが、病気のため、1年半後には帰郷する。

新潟県に戻った先蔵は、やあり時計の修理工として働いた。
また、並行して「永久運動機関」の研究に没頭した。
が、もう一度、上京し、東京物理学校(現・東京理科大)に通う。

「乾いた電池」の発明に没頭し、実験を重ね、試作を繰り返し、様々な難問をクリアしていった。
ところが、最後に大きな問題が残った。
プラス極として用いた炭素棒に電解液が染み込み電池を腐食させてしまうのである。
いくら考えてもいいアイディアが浮かんでこない。
先蔵は完全に行き詰ってしまった。
そんなある日、研究室の机にこぼれた水を、やはり机に流れたロウがはじいているのが目に飛び込んだ。
そこで、炭素棒をロウで煮て電解質が染みないようにした。

こうして世界最初の「乾電池」が完成したのである。(1887年)
先蔵が24歳のときだ。

ところが残念なことに、手持ち資金のなかった先蔵は特許出願ができなかった。


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