電池は化学変化を利用して電流を取り出す装置。
イタリアの物理学者ボルタが発明した「ボルダの電池」が有名だが、これは電解液である薄い硫酸の中に、銅版と亜鉛板を電極として用いたもの。
液体であるだけに取扱いが面倒で、しかも重い。
そんな不便さを解決したのが現代の乾電池。
世界中で使われているのが、その発明者は日本人・屋井先蔵。
多くの困難に不屈の精神力で立ち向かった。
屋井先蔵は越後(新潟県)で1863年に生まれた。
13歳のときに、単身上京。
時計屋の丁稚として働いたが、病気のため、1年半後には帰郷する。
新潟県に戻った先蔵は、やあり時計の修理工として働いた。
また、並行して「永久運動機関」の研究に没頭した。
が、もう一度、上京し、東京物理学校(現・東京理科大)に通う。
「乾いた電池」の発明に没頭し、実験を重ね、試作を繰り返し、様々な難問をクリアしていった。
ところが、最後に大きな問題が残った。
プラス極として用いた炭素棒に電解液が染み込み電池を腐食させてしまうのである。
いくら考えてもいいアイディアが浮かんでこない。
先蔵は完全に行き詰ってしまった。
そんなある日、研究室の机にこぼれた水を、やはり机に流れたロウがはじいているのが目に飛び込んだ。
そこで、炭素棒をロウで煮て電解質が染みないようにした。
こうして世界最初の「乾電池」が完成したのである。(1887年)
先蔵が24歳のときだ。
ところが残念なことに、手持ち資金のなかった先蔵は特許出願ができなかった。
■ホーライのブログ集
http://knowledge-forest.seesaa.net/
■医薬品ができるまで
http://chiken-imod.seesaa.net/
■ホーライ製薬
http://horaiseiyaku.seesaa.net/
■ハードボイルド・ワンダーランド日記
http://hard-wonder.seesaa.ne
【関連する記事】